素人的感覚で、結論だけを見るとなんか当然の結論のように思えるわけですが、最高裁第3小法廷の5人の裁判官で3対2で合憲になってるんですよね。


多数意見は、条例16条1項1号「何人も、次に掲げる行為をしてはならない」、同17条、そして定義規定の「暴走族」(条例2条7号)の解釈にあたり、第1条の目的規定などから強引に?合憲限定解釈をして、規制の対象を社会通念上の暴走族及びそれに準じる暴走行為・集会等であることが読み取れるとしている。

前に、反対意見がすばらしいっつうことで藤田宙靖裁判官意見を長々と引用した記憶がありますが、今回も少しだけ。

表現の自由の規制について、最高裁判所が法令の文言、とりわけ定義規定の強引な解釈を行ってまで法令の合憲性を救うことが果たして適切であるかについては、重大な疑惑を抱くものである。本件の場合、広島市の立法意図が多数意見のいうようなところにあるとするならば、「暴走族」概念の定義を始め問題となる諸規定をその趣旨に即した形で改正することは、技術的にさほど困難であるとは思われないのであって、本件は、当審が敢えて合憲限定解釈を行って条例の有効性を維持すべき事案ではなく、違憲無効と判断し、即刻の改正を強いるべき事案であると考える。


果たしてどうでしょうか。
最高裁の裁判官でも意見が割れるわけですから、具体的な条例の文言等をもう少し精査・検討した上であれば、結論としてはどちらでもよいのだと思います。

確かに、藤田裁判官のいうように表現の自由の規制については最大限の配慮を払うべきであると考えますが、条例1条にあるような立法目的もまた重要なものであるといえそうです。
本件条例の規定方法は必ずしも適切とはいえず、早期改正が求められるというのは多数意見も示すところです。
しかし、表現の自由とはいえど、絶対無制約なわけではなく、公共の福祉による内在的制約を受けるわけであって・・・。
また、本件「暴走族」の集会行為自体を直接刑罰に処するものではなく、あくまで要件を満たす集会について市長の中止命令を発し、それに従わない場合に処罰するという間接的な効果にとどまるとするならば、市民の平穏や§1に掲げる目的と暴走族の集会の自由との利益衡量で、やはり前者にウエイトをおいた多数意見がいいんじゃないかとわたくしは思います。

ちゃんちゃん。
こんな事件が係属されていることすら知らなかったのですが、少なくとも重判には載りそうな重判例ですな。ちぇっくちぇっく。